E21 · B
転送先なし
宛先を残したくない旅人へ
フロントの宿帳は最後のページまで繰られ、チェックアウトする客はひとこと言いました。転送先はありません、と。
この手紙はそこから始まります。1990年10月、アメリカ南部の、灯りのまばらな幹線道路。紙は色あせたクリーム色で、太く幅の狭い木活字の見出しの上を、細い筆記体の書き込みが斜めに走ります。濃い青のハーフトーンで刷られたモーテルの窓、赤い鍵の札、セージグリーンの道路地図。まわりには幅の広い影が、夜がゆっくり閉じるように落ちています。
どこから来たかも、どこへ行くかも、言わなくていい。ある詩人は、こんな気分を書きました。「日暮れ、故郷はどこにあるのだろう。川面にけむる波が、旅人の胸を愁いで満たす。」——崔顥『黄鶴楼』(唐)
しばらく、あて先のない人になりましょう。暴雨郵便局に必要なのは、机とすこしの時間だけ。書けた手紙はゆっくり送りますし、道の雨のことも、こちらで覚えておきます。
あて先のない者より
暴雨郵便局
1990年10月・アメリカ南部